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ヴェンダース新作の上映が名古屋ではじまっている

アランフエスの麗しき日々』がようやく名古屋でかかりはじめた。ヴィム・ヴェンダースが初めて全編仏語で撮り上げた意欲作にして新作だ。とはいえ、矢場町のセンチュリーシネマでの上映は期間限定(1/20-2/2)らしいので、ヴェンダース・ファンの方々は早めに駆けるつけるようにしよう。来週金曜まで。それにしても、ヴェンダースの作品が百万都市の劇場で期間限定上映というのはいささか悲しい。『ベルリン 天使の詩』が驚異的なロングランを記録したことはミニシアター黄金期の語り草となっているが、その時代のヴェンダースを知るシネフィルたちはどんな思いでいるのだろう。

 「〈純粋映画〉の試みというべき、高度な方法意識に貫かれた作品である」(中条省平、「日経」夕刊、12/8付)

 『都会のアリス』から『パリ、テキサス』までのヴェンダースは向かうところ敵なしの若き天才だった。『パリ、テキサス』のインタビューで彼が発した「わたしは最後のアメリカ映画を撮ろうとしたのです」という言葉には身震いするような感動を覚えたし、その感動は、ニコラス・レイのドキュメンタリー『ニックス・ムービー』と賛否両論の『ハメット』を後追いで鑑賞し、ヴェンダースの「アメリカへのまなざし」を自分なりに咀嚼したことによって、二倍も三倍も増幅したにちがいない。もちろんそこには蓮實重彦の批評も少なからず加担していたはずだ。

そんなヴェンダースも、『ベルリン天使の詩』を最後にまるで精彩を欠くようになり、90年代から2000年代半ばまではとても見てはいられない作品がつづいた。『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』はまだ良いにしても、『ランド・オブ・プレンティ』や『アメリカ、家族のいる風景』などにはまったく乗れなかった。どうにか復活の兆しを見せてきたのは『パレルモ・シューティング』と『ピナ・バウシュ』(3D作品)あたりからだ。本作はそんな長きにわたる不遇をついに打開する可能性さえ感じさせる。かつてのヴェンダースとはまったく異なる映画美学に出会えるのではないか。

中条氏の批評によると、光、空気、緑の撮影がすこぶる美しく(映像の「スポンタニティ」!)、深く、さらに人間の生や宇宙の本質に迫るような哲学的散文詩の様相を呈しているという。中条氏らしく、それらはボードレールの詩句にたとえられている。映画好きのわれわれにとってより身近なところだと、その光の主題、そして哲学談義の主題からして、ジャン・ルノワール素晴らしき放浪者』とエリック・ロメールモード家の一夜』の二篇をふと想起させはしないか。

今回のヴェンダースには大いに期待していいかもしれない。それ以上に、2010年代に『シャトーブリアンからの手紙』と『パリよ、永遠に』でほとんど不意打ちのように輝かしい復活を遂げたフォルカー・シュレンドルフ、『アラビアの女王』でニコール・キッドマンを主演に砂漠の愛とロマンを壮大に描いてみせたヴェルナー・ヘルツォーク――トム・クルーズの『アウトロー』で演じた悪役も忘れがたいのだが――、そして『ハンナ・アーレント』の大ヒットが記憶に新しいマルガレーテ・フォン・トロッタとともに、ニュー・ジャーマン・シネマの旗手たちの21世紀における活躍ぶりを祝福したい。

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