A Fistful of Films

映画のために...

パゾリーニの「呪われた部分」:1975→2017

誰もが知るパゾリーニのあの事件が、発生から40年以上の時を経て新展開を迎えている。新たな証言により、これまでの定説とは別の可能性が浮上してきたのだ。なるほど、21世紀の今となっても、パゾリーニの不吉さは尾を引いているらしい。

映画監督であったと同時に、詩人で映画理論家でもあったピエル・パオロ・パゾリーニ。映画史においてこの三つの肩書をもつ人物はおそらく彼をおいてほかにいない。同時期に活躍したベルナルド・ベルトルッチは詩人でもあったが理論を書きはしなかったし、いかにも1920年代的な身振りとして監督と理論家を絶えず往来したジャン・エプスタンやセルゲイ・エイゼンシュテインも詩を書くようなことはしなかった。したがってパゾリーニは、「ポエジーとしての映画」を志向したフィルモグラフィもさることながら、その存在そのものが稀有だったとひとまず言うことができよう。

その稀有さにより拍車をかけたものがある。彼の死である。より厳密には死に方である。当時の映画ファンの多くがあの悪名高き『ソドムの市』につづく次回作を待っていたことだろう。しかしそれはパゾリーニの死によって絶たれてしまう。1975年のことだ。その死はあまりに唐突に訪れた。と同時にひどく衝撃的なものだった。なんと複数の少年に殴打されたうえに自動車で轢き殺されたというのだ。ネットでパゾリーニを検索すると、関連キーワードの二つ目か三つ目に「パゾリーニ 死因」と出てくるが、人々がやたらと知りたがっているその「死因」こそ、いま上に書いたそれにほかならない。しかし事態はそう単純ではない。如何せん謎が多い。これだけ謎に満ちた事件は、エリザベス・ショートの「ブラック・ダリア事件」(ブライアン・デ・パルマが『ブラック・ダリア』として映画化している)に匹敵するというのはさすがに言いすぎだとしても、ケネス・アンガーがハリウッドの闇を赤裸々に暴露した『ハリウッド・バビロン』にさえ登場しないのではないか。

もう少し詳しく言おう。ホモセクシュアルだったパゾリーニは少年を誘惑し、それが引き金となって、逆上した少年たちによって殴られた挙句に轢殺されたとされる。「とされる」というのは、この「死に方」=「殺され方」がこれという確証を持たず、ほとんど独り歩きしたかたちで世界を巡り巡っているからだ。おそらく未解決だとか迷宮入りだとか言われる類なのではないだろうか。そのせいか、陰謀論も後を絶たない。そこには、いかがわしいファシスト共産主義キリスト教の黒い影が絶えずつきまとっている(余談だが、パゾリーニの実の弟は共産主義勢力の内紛によって殺害されている)。パゾリーニの作品を見るにつけて、人々はこの不吉きわまりない最後を映画史の神話のひとつとして語り続けるだろう。「ところで、パゾリーニの最後を知っているか」というふうに。

70年代半ば、イタリア映画史は多くの巨匠たちを失った。パゾリーニをはじめ、ヴィットリオ・デ・シーカルキノ・ヴィスコンティロベルト・ロッセリーニピエトロ・ジェルミ、等々。戦後イタリア映画の神のような彼らがある時期に立て続けにこの世を去った。あるイタリアの映画史家によれば、それは「思いがけない一連の不運」だった。ほどなくして、70年代後半以降のイタリア映画史は、「父親のいない孤児」の時代へと突入していくことになるだろう。その映画史家はつづけてこうも記述している。「これらの世代の映画作家たちの影響力は、時の経過とともに薄れていったが、その記憶は、ますます人々の胸に記念碑的な大きさで定着するようになる」と。パゾリーニに「呪われた部分」(ジョルジュ・バタイユ)があるとするならば、それはフィルモグラフィとほとんど同等の重量で「死」の逸話が「記念碑的な大きさ」へと肥大しつづけてきた点に認められるのだろう。

http://www.afpbb.com/articles/-/3033351?pid=14893521