A Fistful of Films

映画のために...

ホークスの『男性の好きなスポーツ』が放送されるという事件

2日のBSプレミアムで、満を持してハワード・ホークスの『男性の好きなスポーツ』が放映された。これまで受容の機会に恵まれなかったことを考慮すると、どれだけ多くのホークス好きがこの鑑賞を待ち望んでいたことか、想像に難くない。これはまちがいなく今年もっとも貴重かつ喜ばしい映画放送のひとつだろう。「事件」と言ったっていい。いまのアパートに録画機器がないので、今回は実家の両親に録画を頼んだ。しっかり録画してくれているかどうか。もし録画ミスでもしたら、きっとそのときのショックは計り知れない。この週末は学会で関西に出向いているので、作品はその帰りに実家に寄って見ようと思っている。

 国内に限れば、これはずっと幻の映画だった。いまのところビデオ化もDVD化もされていない。さらには上映の機会にも恵まれていない。なにせ20世紀末にフィルムセンターで開催された大規模なレトロスペクティブ「ハワード・ホークス映画祭」でさえ上映されなかったのだから。今年初めに渋谷シネマヴェーラでおこなわれたホークス特集(山田宏一セレクション!)のプログラムにも本作は入っていなかった。いま調べると、大阪のプラネットが過去に一度だけ上映しているらしい。さすが天下のプラネットというべきか。ちなみに、そのマイナーぶりゆえか、この『男性の好きなスポーツ』はホークスの日本版ウィキペディアでも紹介されていない。

とはいえ、映画批評においては、何人かの批評家がその卓抜したホークス論のなかでいかにも饒舌に論じていた。先に挙げた山田宏一——山田は昨年末にホークス論のみを収録した『ハワード・ホークス読本』を刊行した——、蓮實重彦ノエル・シムソロなどがそうだ。言うまでもなく、彼らは60年代にリアルタイムで鑑賞している(はずだ)。しかし、われわれ読者にはどうあがいても見ることができず、それゆえだろうか、読むたびにフラストレーションとともに鑑賞欲が沸々と高まるばかりなのだった。もっとも、映画を見(つづけ)るということは、とりもなおさずそういうものにほかならないとは思うが。

1964年に撮られた『男性が好きなスポーツ』は、ハワード・ホークスのフィルモグラフィでは後期に位置づけられる。ホークスの全盛期は恐らく30年代から40年代あたりというのが相場だろう。じっさい、『ヒズ・ガール・フライデー』『赤ちゃん教育』『脱出』『三つ数えろ』など、傑作を挙げればきりがない。だが、60年代になってもその質はいささかも衰えてはいない。それは1959年の『リオ・ブラボー』を基点に撮られた二本の西部劇『エル・ドラド』『リオ・ロボ』を見れば明らかだろうし、さらにサファリ映画『ハタリ!』(1962)にいたってはホークスの最高傑作なのではないかと思うほどだ。『男性の好きなスポーツ』はその『ハタリ!』の次作として撮られた。

主演にはロック・ハドソンが迎えられている。ダグラス・サークのメロドラマで幾度となく葛藤に葛藤を重ねてきたハドソン。そんな彼がホークスの喜劇に出ているというだけで嬉しくなるのはわたしだけだろうか。つい微かに笑みがこぼれてしまうのだ。いくつかのポスターやスチール写真を見ると、この作品のハドソンは40年代のケイリー・グラントを彷彿とさせる。じっさいの顔はまるで似ていないにも関わらず、その横顔はまるでグラントが乗り移ったかのよう。言うまでもなくグラントは「ホークス的男性」をもっとも体現するスターのひとりだ。それまでのハドソンに刻印されてきた「深刻さ」は、ホークスの底抜け極まりない楽天性のなかでどう変貌するのか。グラントのように、その二枚目ぶりから遠く離れて、美女や動物にこれでもかと振り回され、転倒や落下の運動を快活に演じるのだろうか。そこがこのうえなく楽しみだ。

次は同じくホークス後期のレア作品『レッドライン7000』(1965)をぜひとも放映してほしい。さっそくNHKにリクエストメールを書かねばならない。国内での受容という点では、これも『男性の好きなスポーツ』とほとんど似た境遇にある作品といってよい。それにしても、来月はじめのBSプレミアムは実に渋いラインナップで攻めてくる。なにせジョージ・キューカーフィラデルフィア物語』、ハワード・ホークス『男性の好きなスポーツ』、ジャン・ルノワールゲームの規則』で幕を開けるのだから。6月は古典の魅力に酔いしれ驚くことからはじまる。梅雨の季節としてはなかなか快調な滑り出しではないか。作品を見た感想は後日書く。