A Fistful of Films

映画のために...

サンドイッチの楽しみ

サンドイッチが無類に好きだ。あんなに手軽で美味しいものはない。一人暮らしの学生の分際からすれば、サンドイッチは「お手軽グルメ」の究極体のように思える。それは料理に嫌というほどつきまとう手間、面倒、時間のすべてを面白いように削ぎ落してくれる。おまけに一時のワクワク感まで提供してくれるのだから申し分ない。さて、何を挟もうか、スパイスは何にしようか、どんなパンを使おうかー。大学から自宅への帰路で、あるいは冷蔵庫の中身を眺めている最中に、そんな他愛もないことにあれこれと考えをめぐらせる。わたしはそれだけで楽しくなる。もちろん、作るプロセスも。

言うまでもなく、サンドイッチを作るには、パンと具材さえあればいい、挟むか塗るかさえすればいい。この材料と作業の徹底したミニマリズム。そこに得も言われぬ魅力を感じる。それは調理時間の短さにも直結している。時計で律儀に計ったことはないが、パンを焼くのに3~4分かかったとしても、総じて10分もあれば事は足りるだろう。また、よほど具材と調味料の相性を誤らないかぎり、料理につきものである「失敗」を犯すこともない。手際の良さもおよそ必要ない。むしろサンドイッチの側が料理下手なわたしを手際良くさせてくれる。そう言ってもよさそうだ。

サンドイッチは自分で作って食べるのがいちばん良い。作家の堀江敏幸も言っているではないか。「サンドイッチのよさは、できあいのものを買って食べるのではなく、未知の味を想像しながら作るという楽しみがあってこそ生れ出てくるもので、作るひとがすなわち食べるひとでもあるところが肝要なのだ」(「挟むための剣術」、『バン・マリーへの手紙』所収)と。まさにその通りだ。この記述にはほとんど異論がない。じっさい、喫茶やレストランでサンドイッチを頼むこともなければ、コンビニやスーパーで買うこともほとんどない。たぶん買って食べるだけではどこか淡泊な気がしてならないからだと思う。サンドイッチにはどうしても「作る」というプロセスが必要らしい。少なくともわたしにとっては。

どうやればサンドイッチをより美味しく食べることができるだろうか。そんなことを考える日々だ。もちろん、そればかり食べているわけではないけれど。そのイメージの通り、サンドイッチと朝との相性は抜群に良い。なにせ冷蔵庫にあるものを挟みさえすればいいのだから。時間がないときや面倒なときには本当に重宝する。それ以上に、サンドイッチを作る楽しさを考えると、どういうわけか朝に心地良い気分で起きることができる。少しばかり早起きをし、サンドイッチとコーヒーを味わう時間はなにものにも代えがたい。それは一時の小さな幸福としか言いようのないものだ。