A Fistful of Films

映画のために...

サンドイッチの楽しみ

サンドイッチが無類に好きだ。あんなに手軽で美味しいものはない。一人暮らしの学生の分際からすれば、サンドイッチは「お手軽グルメ」の究極体のように思える。それは料理に嫌というほどつきまとう手間、面倒、時間のすべてを面白いように削ぎ落してくれる。おまけに一時のワクワク感まで提供してくれるのだから申し分ない。さて、何を挟もうか、スパイスは何にしようか、どんなパンを使おうかー。大学から自宅への帰路で、あるいは冷蔵庫の中身を眺めている最中に、そんな他愛もないことにあれこれと考えをめぐらせる。わたしはそれだけで楽しくなる。もちろん、作るプロセスも。

続きを読む

渡瀬恒彦追悼:『狂った野獣』

渡瀬恒彦の追悼上映を先週から始めている。何本見るかはまだ決めていない。ポスト撮影所時代の俳優とはいえ、そのフィルモグラフィはあまりに膨大だ。それをデビュー時から現代まで網羅的に見ていくのはいくらなんでも厳しい。そんな時間はない。なので、とりあえず70年代の東映作品に的を絞ることにする。こちらとしては、野獣系の渡瀬を再確認することができれば、もうそれだけでお腹いっぱいになるだろうから。というわけで、第一弾に選んだのは1976年の『狂った野獣』。まさしくトートロジカルに「野獣」というキーワードがタイトルに組み込まれている。渡瀬の野獣ぶりの再確認にこれほど適切な作品もあるまい。

続きを読む

渡瀬恒彦のこと

映画史を彩った俳優たちが次々に逝去していく。ミシェル・モルガンエマニュエル・リヴァ松方弘樹につづき、この春先には渡瀬恒彦が亡くなった。3月14日のことだ。偉大な俳優が亡くなると、いつも自宅で追悼上映をやることにしている。その足跡をいま一度辿るために。幸運なことに、ドラマのほうはいくつかテレビ局の追悼特番で見ることができた。これだけもこの俳優がどれだけ茶の間に愛されていたかがわかる。だが、わたしはドラマではなく映画のほうを再見したい。とくに東映時代のそれを。つまりは血気盛んな喧嘩屋としての渡瀬を。そこには茶の間のイメージとはおよそ異なる渡瀬が存在する。

続きを読む

ボールペンは二度死ぬ

先週、Amazonでボールペンを二ついっぺんに注文した。メーカーはクロスとファーバーカステル。いずれも舶来品だ。とはいえ、とびきり高価というわけではない。前者は「イージー・ライター」、後者は「グリップ2011」というシリーズのもの。それぞれ2000円ほどで買えたから、外国製メーカーのものとしては比較的安い買い物ではないかと思う。が、どちらも買ってから二日と経たないうちに手放すことになってしまった。4月から早々とこんな憂鬱な日々を送ることになろうとは。

続きを読む

第70回カンヌのポスターにC.カルディナーレ

今年のカンヌのポスターに若き日のクラウディア・カルディナーレ(C.C.)が起用された。元となった写真が撮られたのは1959年。『上と下』でM.ドモンジョと共演した年だ。翌年には『若者のすべて』に出演する。つまりこの写真はカルディナーレの輝かしいフィルモグラフィの始まりを告げている。それから5年も経たないうちに、ヴィスコンティ最大のミューズとなり、L.コメンチーニ(『ブーベの恋人』!)やF.フェリーニの作品に出演し、M.ヴィッティ、S.ローレン、S.マンガーノらとももに60年代のイタリア映画史を担っていくことになる。そう思うと妙に感慨深い。

続きを読む

「コルシア書店」再訪:須賀敦子について

かねてから須賀敦子を尊敬してやまない。翻訳者やイタリア文学者以上に随筆家としての彼女を。その文章に初めて触れたのは学部生の頃だった。どうすればこんなに美しく聡明な文章を書けるのだろう。率直にそう思った。その思いは今でも変わらない。あれからおよそ5年が経過してもなお、読むたびにそんな感嘆がページの端々から訪れる。須賀敦子は日本でもっとも美しい文章を書く作家だ、とこれまでに周りの友人に何度言ったことか。

続きを読む

ロバート・クレイマー特集再び

来たる5月に渋谷イメージフォーラムロバート・クレイマー特集が開催されるらしい。特集タイトルは「アメリカを撃つー孤高の映画作家ロバート・クレイマー」。Twitterでその情報を目にした瞬間、わたしの心のなかには歓喜にも似た感情がしばらく湧いた。とはいえ、その時期に東京と同じように名古屋でかかるはずもない。東京のシネフィルはさぞ贅沢なゴールデンウイークを過ごすことになるのだろう。羨ましいかぎりだ。

続きを読む